既読にならないメッセージ
昨年末の12月23日、旭川の父が癌で他界しました。
64歳でした。
父は根っからの仕事人間で
早期退職した後も相談役として働いたり
復興支援事業の手伝いに岩手に行ったり
私たちが就農してから父は栗山の方で仕事があれば
ほんの少しの時間でも顔出しに来てくれました。
石狩に来たときは亮太さんとタバコを吸いながらお散歩してお話ししたり
お庭でゆっくりお茶を飲んだり
イオンで一緒にお買い物して夜ご飯作ってくれたり
子どもに絵本読んでくれたり
ときには食材だけ沢山買ってきて玄関に置いて帰ったり
この2年は本当によく遊びにきてくれていました。
お母さんとお父さんと一緒に子供たち連れて温泉で宿泊したりもしました。
父が私に直接病気に話をする事はほとんどなく
お母さんや亮太さんから遠回しに聞く、という感じでした。
12月のあたまに母からお父さんの体調がかなり悪いと連絡を受け、
旭川に妹と子どもたちと何度か会いに行ってました。
12/9、会いに行ったその日に長男の泰平くんも飛行機で帰ってきました。
お父さんもお母さんもとても喜んでました。
お父さんは何度も何度も「泰平に会えて良かった」と言ってました。
次男の寛くんはその前の週に会いに来てクリスマスツリーを飾ってくれたそうです。
↑実家では毎年背丈より高いクリスマスツリーを出してます
次の週に会いに行ったとき肝臓の調子が悪くなったため入院することになり、
病院に会いにいきました。
その日が私が父に会った最期に日になってしまいました。
12/21に母から1月いっぱいまで持たないかもしれないと聞き、
すぐに電話したらよかったのですが薬が効いて寝てるかもしれないと考え
メッセージだったらお父さんの都合でiPhone開けば見れる、と思い
12/22に子供たちに渡すクリスマスプレゼントの隠してあるところを写真に撮り
メッセンジャーで送りました。
このメッセージは既読になることはなく
次に日の夕方に息を引き取りました。
時々思い出すとぐっと寂しい気持ちになります。
今振り返ればもっと会えば良かった、
話せばよかったと後悔が尽きないです。
石河家にとってクリスマスは一大イベントで、
祝わなかったらお父さんも悲しみと思い12/24はしっかりクリスマスのご馳走を作り、
お正月もしっかりおせちを準備しました。
↑サンタさんがおやつを子供たちにくれました。帰る前にはお線香もあげてくれました。
↑子供たちが寝た後にセッティング🎁
↑小さなお皿に盛ってお供えしました
正月が開けてしばらくした後石狩に戻りました。
「きっとお母さんが寂しくないようにクリスマス前に逝ったんだね。そうしたら一周忌の後のクリスマスはみんないるから」と亮太さんが言いました。
お父さんに改めて「ありがとう」と伝えたくなりました。